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東かがわ歴史研究会について

当研究会は、主に東かがわ市内の歴史について、研究、調査、記録をし、次の世代にそれを引き継いでいくことを目的に設立されました。

まず、文献に当たり、史料を渉猟し、それが現地の状況と照合して矛盾がないかを検討します。

定説とされる情報にも、切り込んでいくことに躊躇しません。

そうして集まってくる歴史情報を、生の形で記録する一方、その矛盾箇所の指摘をしておくことも、大事かなと思います。

次の世代が、それを利用してさらに修正、発展させていただければと願っています。

東かがわ歴史研究会の所在地は、香川県の東端に位置しています。東端という言葉のイメージから寂れた印象を受けがちですが、瀬戸内海という広域の中で考えてみると、讃岐国内で近畿に最も近い海上交通上の枢要地でした。

古く、高野山僧道範阿闍梨の書いた「南海流浪記」にもこの地域の地名が見られますし、熊野と縁の深かった増吽の遺跡が多く残されている事でも著名です。

織豊時代になると、生駒家によって引田城が築かれます。生駒家が高松に移った後も、城は存続し、引田の湊を保護する重責を荷ったかと思われます。

そうした古くからの殷賑が容易に想像されるにもかかわらず、この地域の中世遺物があまり確認されなかったのは不思議な事でした。

ところが、注意して市内を歩いてみると、完形をとどめる物は少ないものの、近世には分類できない石造物が随所にある事がわかってきました。

讃岐における中世の石造物は凝灰岩によって代表されます。旧津田町と旧大川町にまたがる火山や志度大串半島、弥谷山、天霧山等で産するこの岩は、加工がしやすく、逆にいえばもろくこわれやすい性質を持っています。この為、風化したり雨に打たれた結果、鋭角であったものが丸みをおびてきたり、刻まれていた銘が消えてしまったりしています。さらに原状をとどめず、まさに土に帰りかけているものも多く見ることができます。

石切場から採石された岩は、地蔵菩薩や薬師如来、阿弥陀如来などの石佛や、神像、五輪塔、宝篋印塔、宝塔、石幢、層塔等多様に成形されました。

それらを用途別に分類してみると葬送の為のもの、供養の為のもの、記念碑的なもの、路傍にあって旅人の道標の役目をされたもの、聖域と俗界との結界を示すもの、経典等を埋めた位置にしるしとして立てられたもの等々に区分できそうです。

その種類や目的毎に、分布する濃淡や地理的位置を分析する事によって中世の信仰に関わる景色が見えてくるような気がします。

そして又、その証となるそれら遺物はこわれやすい故に記録しておくことの重要性を強く感じます。

ホームページでは市内を悉皆的に調査し、記録した結果を皆様に公開しています。

写真映像という形で保存し、後世に伝えていこうとする試みは、とりあえず石造物に限られますが、本資料が積極的に活用され、さらに新しい発見や考え方につながってくることを期待しています。

このホームページ開設に当たって、四国労働金庫、全労済香川県本部、社団法人香川県年金福祉協会(滝様)、赤澤記念財団から助成金をいただきました。

東かがわ歴史研究会